障害年金、遺族年金、老齢年金(国民年金・厚生年金)などのご相談・手続き代行なら長野県松本市の中曽根あきら社会保険労務士事務所へ
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昭和46年 | 東京都府中市生まれ |
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昭和48年 | 長野県松本市に転居
朝から晩までサッカーにあけくれる。そんな中、小学校3年のとき、栗のイガが目に当たる大けがをし、3度の手術ののち、右目の視力を失う。それでも、小学校6年のときサッカー少年の憧れの地『読売ランドサッカー場』のピッチに長野県代表として立つ。しかし、6戦全敗だった! |
平成元年 | 松本深志高校卒業
医者になる夢を抱き、親にお願いし浪人一年間松本大学予備校に通わせてもらう。しかし、願いがかなわず約束通りに合格した大学に進学することを決める。 |
平成6年 | 東京理科大学理学部数学科卒業
微分幾何学を専攻。宇宙拡大について研究。数学教育論にも興味があり、母校である松本深志高校で教壇に立つ。 |
平成6年 | 安田信託銀行株式会社(現みずほ信託銀行)入社
年金数理部に配属。約5年間にわたり適格退職年金・厚生年金基金の決算・再計算業務を担当。年金・保険に関してアクチュアリー関連業務を中心に幅広く経験を積む。 |
平成11年 | 株式会社あっぷるぐりむ入社
子供の頃よく行った憧れのレストラン、いつ行っても笑顔で気持ちの良いサービスをしてくれる。店員はマニュアルなんかなくイキイキ働いている。そんなレストランを作りたい、そんなレストランの秘密が知りたいと転職を決意。3年間の期限を区切りレストランのホスピタリティー(おもてなしの心)・マネージメント(運営スキル)・人事労務管理を学ぶ。 |
平成14年 | 有限会社フォルトゥーナ入社
4名でのレストラン開業のため会社設立。レストランの企画から運営全般を担当。月商2000万円を売る繁盛店となるも、立地の問題や経営者間の思惑の違いで2年余りで廃業。 |
平成16年 | トレジャーフードマーケット開業
『見て楽しい、食べておいしい食材を路地裏で宝探し』をコンセプトに、輸入食料品店オープン。食卓やキッチンにおいてあるだけで、みんなの心が楽しくなる、みんなの会話が弾む、そんな夢のある店舗を目指す。 |
平成23年 | お客様が笑顔になることが最終目標! 今までの経験を生かし、持っている力を最大限使って一緒になって考え、解決する、年金専門の社会保険労務士として皆様のお役に立ちたいと、日々奮闘中。 |
保有資格 |
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年金専門の社会保険労務士として
社会のお役に立ちたい、困っている方のお役に立ちたい
これが、私の使命です。
1番好きなラーメンは何か?
それは、松本のお城近くにあった『雷蔵』の『にぼしとんこつ味』です。
麺も程よい太さで、スープも絶品、何よりとても丁寧に作られていました。
今は残念ながら、なくなってしまいました。
学生時代からいろいろ食べてやっとたどりついたお気に入りのラーメンです。
同じように私は、40歳になるまでいろいろと経験をし、そして年金にたどり着きました。年金を通して、お客様を笑顔にしたい。
これが、私の目標です。
分かりやすく丁寧に、そしてフットワークよく、謙虚にそして冷静に、お客様の困っていることをお聞きし、お客様の手助けをします。
そして、皆さんが少しでも楽しく、幸せに暮らせるように努力します。
社会保障制度・年金制度・50歳からのライフプランは分かりにくい難しいことだらけです。
でも、知っていれば少しでも楽しく、幸せに暮らせるのです。
とてもとても、まだまだの自分ですが、おひとりおひとりのお役に立てるよう、持てる力を最大限使って、全力でお手伝いさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
以下は、少し人生振り返ってみました。
もしよろしければ、お時間のゆるす時お読みくださいませ。
私は、小学生の時に大けがをしました。おじいちゃんの家にある大きな栗の木。おじいちゃんは、栗の大好きな孫のために一生懸命棒で栗をたたいていました。
そして、その栗のイガがそのまま私のところに飛んできました。みんなが『あぶない!』と言った瞬間、私は飛んでくる栗のイガの方を向いたのです。
右目からは、血が流れ大変な騒ぎになりました。ただ、見た目には目の周りから血が出ているだけで、大したことがないだろうと、消毒をして夕食をおじいちゃんの家でごちそうになりました。今でもその日の夕飯を覚えています。私の大好きなすきやきでした。
しかし、夜になると痛みが増し、緊急医に診てもらうことになりました。すると、顕微鏡を見た医者がイガが12本残っていると言ったのです。今でもその光景を覚えています。母親は泣き叫び、父親は呆然としていました。
すぐに手術をする必要がありましたが、夕飯を食べているということで明朝、信州大学医学部付属病院で緊急手術をすることになりました。1度には取りきれないということで、信州大学で2度の手術を受け、その数か月を他の病院で1度手術を受けました。
傷ついた水晶体を全て取り除いたため、右目はレンズの入っていない状態となりました。
水晶体がない状態のため光は感じますが、物は全く見えません。母親は自分が身代わりになりたいと、毎日泣いていたそうです。そんな、母を姉は、『このケガはあきら(私のことです)にとって、乗り超えることができる試練。
あきらなら絶対乗り越えられる、そんなに泣く必要はない』と言って慰めたそうです。早いボールの動きについていけずサッカーを断念した以外、姉の言うとおり全く何不自由なく幸せに生活してきました。
今思えば、周りはすごい状況だったのでしょうが、数か月におよぶ入院生活は私にとってとても楽しいものでした。それは、先生はじめ看護師さんがみんな笑顔で優しく接してくれたおかげ。生活が軌道に乗るまで、クラスメイトがサポートしてくれたおかげ。家族が見守ってくれたおかげ。本当に感謝しています。
振り返るとこの時から、人の役に立ちたい、人を喜ばせたい、『感謝』の気持ちを伝えたいという思いが芽生はじめたのだと思います。
大学を卒業後、安田信託銀行(現みずほ信託銀行)に入社し、5年間にわたり年金数理部で、企業の退職金制度を外部で積み立てる制度に移行する業務を主に行っていました。
企業の退職金制度は一度にたくさんの退職者が出ると、多額の退職金が必要になり、支払いが非常に困難になります。
中小企業にとっては、退職金が払えず倒産するところもあるくらい大変な問題です。その退職金を、過去のその会社の退職者のデーター等を使って計算し、会社の外で少しづつ積み立てていけば、会社の資金として使ってしまう恐れもありませんし、計画的に退職金を考えることができます。税制面の優遇もされ、企業にとってとても良い制度です。
その制度を作ることできるのが、アクチュアリーと呼ばれる年金数理・保険数理のブロです。当時の安田信託銀行(現みずほ信託銀行)は、年金の安田といわれるほど年金の受託件数もトップクラス。アクチュアリーの数でもトップクラスでした。
今現在、日本を代表するアクチュアリーの方々も当時多数おられ、その方々のもとで年金業務ができたことは、非常にありがたいことでした。大企業の厚生年金基金の理事長さんへの説明や、中小企業の社長さんを担当する各支店の営業担当者へのサポート、厚生労働省への申請など、企業年金の全般を行ってきました。
また、当時一律であった、免除保険料率が基金ごとに変更になる折には、責任者として全基金の免除保険料率の計算・申請を行いました。日々の業務の傍ら、とても難関といわれるアクチュアリー試験にも挑んでいました。
結局、必要科目8科目中4科目の取得で終わってしまいました。私にとっては、理学部数学科を卒業をしているものの、数学の記述試験8科目は大変ハードな試験だったと懐かしく思います。
ただ、実際にお客様が見えない日々の業務に、葛藤がありました。年金業務は、実際には、何万・何千というお客様を相手にしている大きな仕事でした。しかし、若い私にはそのことに気づきませんでした。そして、子供のころから漠然と夢を持っていたレストラン経営に進んでいきます。
年金とは何か、保険とは何か、年金はいかに重要か?そして、年金制度はお客様にとってどのくらいわかりにくいものか?これが、銀行員時代に学び・考えてきたことです。
銀行員を辞めてレストランに就職することは、私の中では理解のできる当然の選択ではありました。しかし、周りの人たちは大反対。理解してもらうのはなかなか困難でした。
それは、当然のことで私が親なら当然止めたでしょう。それでも、両親は私の性格を知ってか、ある程度反対した後は、理解をしてくれ多くの協力をしてもらいました。本当に感謝です。
長野市に本社のある、『あっぷるぐりむ』という会社は、今ではファミリーレストランからイタリアンレストランやアジアンまで幅広く手掛ける甲信・北陸で有名なレストランチェーン。
子供のころ、めったに外食に連れて行ってもらうことはありませんでしたが、たまに連れて行ってもらうそこでの接客・サービス・雰囲気はすごくよく覚えていてとても気持ちの良いものだったのです。
周りを見渡せば、どのテーブルも会話が弾みとても楽しそうでした。テーブルの相乗効果で、店全体に一体感がありました。そんな店を作りたい、経営したい、と『あっぷるぐりむ』の門をたたきました。給料も実際大幅に減る、仕事もうって変わってガテン系に変わる中人事担当者・部長等にも初めは信じてもらえませんでした。しかし、思いや熱意を伝え、入社させていただきました。
3年ですべてをマスターし、自分のレストランを作ることが目標でした。1年目でレストラン業務全般をマスターし、2年目で店を動かし回せるようになって、3年目で店を管理出来るようにする。
入社すぐに、イタリアンレストラン『ピッツェリア』東和田店に配属となりました。そこでは、素晴らしい方々に出会い、レストランについていろいろ学びました。3か月休みなしで働きました。朝9時から夜1時まで働きました。労働基準法違反ですが、自ら進んで学ぶために店に張り付きました。
毎日朝一でゴミ置き場をなめることが出来るくらい磨きました。毎朝・毎夜トイレ掃除をしました。(店で一番汚い所を一番きれいすることという部長の教えです。後でわかったことですが、私をテストしていたそうです。弱音を吐いて逃げ出すのではないかと。)
なぜ、こうも一生懸命に出来たのか?
それは、業務を覚えたかったのもありましたが、1番は仲間の信頼を得ること、2番が雇ってくれた会社の信頼を得ることでした。
次第に自分の思いも通じはじめ、店のあるべき姿、サービスとは何かを考えて、みんなと意見をぶつけ合いました。本当に熱いメンバーでした。
アルバイトも、社員も、副店長も、チーフも、店長も、毎晩のように熱く語り合っていました。1か月に1回は深夜までミーティーングをしていました。
『お客様にまた来てもらうためには、私たちは何ができるか?』
私は、レストランで働かせてもらうまで、『ホスピタリティー』という言葉を全く知りませんでした。ホスピタリティーとは、おもてなしの心。サービスの根幹の話を毎日のように、皆で考えました。
当時、『あっぷるぐりむ』には、マニュアルがありませんでした。1人1人が、お客様を見て考えて行動することで素晴らしいサービスが生まれていたのです。
1年後、小諸店副店長になり、2年後にはつかま店店長をやらせていただきました。ほぼ1店舗には、3人の社員と20名のアルバイトが働いています。レストランには、学生からフリーター・主婦などそれぞれ思い思いの目的で働いています。
当時私は、またお客さんとして来てもらうためにはどうしたらよいか。リピーター、常連さんになってもらうにはどうしたらよいか。そればかり考えてました。どうしたら、『また来るね』言ってもらえるか?
そのためには、働いている一人一人が、思いや立場は違うけれど、サービスにやりがいを持って、イキイキと楽しく働くことができるか、思いや考えを伝え、店として一つになれるかが重要でした。
ミーティングを頻繁に開催しては、思いを伝え、意見を吸い上げました。結果、繁盛店として、その地域の方々に愛されて支持されました。私が、転勤・退職の時には、働いてくれていた皆が盛大に送り出していただき、皆が泣いてくれたことが、本当にうれしく、やったてきたことが間違いなかったことが実感できました。
人を楽しませることはどういうことか?
皆でホスピタリティーの心を共有するにはどうしたらよいか?
皆がやりがいを持って、イキイキと働くにはどうしたらよいか?
それが出来れば、店は繁盛店となり、お客様に愛される。お客様が笑顔で、帰られていく姿は本当にうれしいことでした。そんな単純なことが、毎日本当にうれしかった日々でした。
自分の理想のレストランを作りたいと考えていた私は、
レストランを一緒にやらないか?
という誘いを断る理由はなく、すぐにメンバーに参加しました。メンバーの4人は年代も、立場も違う方々で、面白い半面不安もありました。
私がすべて、レストランのコンセプトから人材の確保、運営まで任されました。
とても、ありがたいことでした。
レストランのコンセプトは、
『人の集まる楽しい空間、そこに見て楽しい食べて美味しい食材貯蔵庫
(パントリー)と、その食材を使い料理を提供するレストラン(テラス)』
開放的なオープンテラスがある、デリカテッセンを配した100席のレストラン。
色とりどりの輸入食材がぎっしり詰まった食品貯蔵庫。お客様が喜ぶことを、一人一人が考えて行動する、キビキビ動くスタッフ30人。 この地域にはない、全く新しい魅力的なレストランは、連日驚くほどの繁盛店となり、土日祝日は結婚式や結婚式の二次会と開店一年目は大成功をおさめました。
しかし、不安なことは実はたくさんありました。企画から立上げまでずっと、必死に行動したためそこには目を向けないようにしていました。
大きな投資金額と資金繰りの見込みの甘さ
駐車場のない市街地立地
4人の意見の相違
周辺地域とのかかわり方
考えれば明らかなことにも全く目を向けていませんでした。
自分はレストランを運営し、売上げを上げ続ければ、そんなことはどうにかなることだろうと、人任せにしていました。誰かがやってくれるだろうと・・・・
考えが甘かったとしか、言いようがありません。いつしか、日常使いのレストランではなく、特別な日に使うレストランとなり、次第に平日には、大きなキャパシティーをもてあまし始め、 そして売上げが下がり、4人が別々の方向を向き始め、さらに売上が落ちました。
そして、私は取締役を解任されました。責任は私にあるということでした。売上を上げられなかったので当然の結果でした。私は、本当に甘かったと思います。自分の理想のお店を作ることに集中して考えなければいけないことに全く目を向けず、突き進み、さまざまな疑問や不安をそのままに、修正してきませんでした。
良いことばかり考えて、何事も どうにかなる、誰かがどうにかしてくれる。悪くなった時の想定を全くしていませんでした。 経営者は、最悪のシナリオを想定したうえで、自分の責任で、人を雇い事業をしなければならない。本当にダメな自分でした。
その後、私は、多くのお客様からの輸入食料品店の継続のご要望をいただいき、新たに輸入食料品店を企画し、経営を始めることにしました。
家庭の食卓は華やかになり、それによって会話が弾みみんなが笑顔になる。世界各国の料理をご家庭で簡単に楽しめる。
2000を超えるアイテムをそろえ、見ているだけで楽しくなるお店、無くてはならない夢のある店舗を目指し運営しています。
取締役解雇の悔しさから、経営や人事、金融などさまざまな勉強を始めました。あの人たちを、見返してやるんんだと。ただ、今はそんな事はどうでもよくなりました。
勉強すればするほど次第に、昔やっていた社会保障や年金の大切さをひしひしと感じ、そして、難しさもますます感じるようになりました。この大切で、難しい社会保障や年金を分かりやすく、お伝えできないものかと思い始めました。
社会の役に立ちたい、困っている人の役に立ちたい、子供の頃助けてくれたお医者さんのように。自分の出来ることを精一杯やって、喜んでもらいたい、笑顔になってもらいたい。
40歳で気付けたことに感謝しています。
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